地獄八景亡者の戯れ                目次に戻る


 過酷な病院勤務から帰宅したK医師は、遅い食事を済ませ、安楽椅子に体を沈めた。傍らのテレビが、
「今夜は桂米朝の上方落語でお過ごし下さい。演目はお得意の『地獄八景亡者の戯れ』です」
と言っている。K医師は、耳はテレビに傾けながらも、勤務の疲れから直ぐに居眠りを始めた。疲れ切った彼の頭の中は、夢も現実もごちゃ混ぜだった。

 その夢の中で、K医師は、サバの食中(あた)りで死んで、地獄八景巡りのツアーに出発していた。彼は、幼少の頃から近くのお寺の地獄絵図を見せられて育った。そこには閻魔大王が嘘つき人の舌を抜いている所や、人呑鬼(じんどんき)に喰い千切られた亡者が血潮を吹き飛ばして逃げ惑う様子など、身の毛のよだつ情景が描かれていた。その記憶が正しければ、このツアーの行く先には、想像を絶する恐怖が待ち受けているはずであったが、少し違っていた。
 かつて六道の辻は薄気味悪い悪路だったのが、昨今はアスファルト舗装されていて、相も変わらず不要の道路造りが続いている。財政赤字の象徴のような文字通りの「火の車」がそこを走っていた。それを下って行くとあちこちに倒れかかった病院の建物が見える。どの門前にも鬼が仁王立ちしながら、
「医療費削減のためだ!高齢者は家に帰れ!」
と追い出していた。その隣の老健施設の前には老人の長い行列が出来ていて、入所は百人待ちだという。その行列の中には待ちくたびれて辻に果てる者もいた。医者代を六文銭から天引きされるので道中は苦しかった。賽の河原では、せっせと積み立てた年金を鬼が来て壊して行くことが繰り返されていた。
 K医師が三途の川原に着くと、同僚の歯科医師や薬剤師らが合流して来た。渡し場を取り仕切る奪衣婆々は、彼らの白衣も衣類も引っ剥がしながら、
「特定検診のメタボはあっちの舟だー。75才以上の後期高齢者はこっちの舟だー」
と、声を嗄らしていた。三途の川を渡る舟は亡者で溢れ、
「押すな押すな!川にはまったら生きてしまうぞ!」
などと空騒ぎの声が飛び交い、船団は途切れることがなかった。
 彼らは、対岸に渡って地獄の閻魔庁に着くや、真っ先に閻魔大王の御前に引き出された。閻魔大王は赤い絨毯を踏みしめながら、
「わしは、患者タライ回しの話を聞いたぞ。お前ら医療者は地獄へ落としてやる!土建業者はじゃまくさいわ。天国へ通してしまえ!」
と鬼たちに命じていた。K医師らは、
「過酷な病院勤務の中にあっても最善の努力をして来たのに、謂われのない地獄送りはご免だ!」と言い張ったが、聞き入れる相手ではない。
 K医師らは医療者の名誉挽回にと奮い立った。いよいよ「亡者の戯れ」の大活劇が始まるはずだったが、少し違っていた。
 糞尿地獄は、最近は汚泥管理が厳しくなって糞尿が集まらず、恐るに足らなかった。熱湯の釜は原油高騰の影響でそう熱くはないのだ。針の山も、感染性廃棄物として溶鉱炉処理されるので地獄でも手に入らないのだ。当ての外れた閻魔大王は、声を張り上げて、いきなり最後の切り札を登場させてしまった。
「人呑鬼だ!人呑鬼に、奴らを喰わせてしまえ!」
すると立佞武多ほどもある大鬼が登場し、彼らをひっ捕まえて大口の中へ放り込んでしまった。ここで歯科医の大活躍。人呑鬼の歯を一気に全部抜いてしまったのだ。噛まずに丸飲みされた彼らは腹腔の中へ降り立った。先ず、K医師が空調ダクトのような大腸を蹴っ飛ばすと、人呑鬼はお尻からブーと大放屁した。薬剤師が老木の根っこのような迷走神経を引張ると、人呑鬼はアイタタとお腹を抱えて寝込んでしまった。事務長が天井から垂れ下がった横隔神経にブランコ乗りすると、人呑鬼はハクショーンと大きなクシャミをした。今度はそれらを全部同時に試みたので、人呑鬼は大変なことになってしまった。
 その弾みに突き飛ばされて、彼らは今度は人呑鬼の大脳側頭葉へ紛れ込んでしまった。そこは記憶の中枢で、いろいろな記憶が詰め込まれていた。幼少の頃に見たお寺の地獄絵図も、舌を抜く閻魔大王も、人呑鬼に喰い千切られる亡者の様子も、みなカラーコピーのようになって側頭葉に蓄えられていたのだ。K医師は忽然と理解した。
「死んだら地獄へ落ちる」
という恐怖がずっと彼を苦しめて来たのだが、それは実は側頭葉の仕業だったのだ。死の恐怖を迫真のものに演出していたのは彼自身の側頭葉だったのだ。六道の辻も、賽の河原も、三途の川も、人間が勝手に作り上げた架空のストーリーに過ぎず、本物の死はもっと別なものじゃないのか?更に言えば、彼にとって、死や地獄を始めとする森羅万象は彼の脳の中にこそあるのだ。すべては脳の仕業なのだ。それに気付くと、今までの死の恐怖が少しだけ薄らいだのだった。
 元気が出たK医師が人呑鬼の嘔吐中枢をくすぐると、人呑鬼はオエーと腹をくの字にして涎とともに彼らを吐き出してしまった。嫌になった閻魔大王は、
「ええい!こいつらを地獄から放り出してしまえ!」
と叫んだ。

 涎を垂らして居眠りから覚めたK医師は、ほんの少しだけ気持ちが楽になっていた。

(参考:童心社の絵本「じごくのそうべい」田島征彦)

     
青森県医師会報 平成20年 7月 542号 掲載


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