ある日のコルサコフ                                  目次に戻る


 西暦18××年。ロシアの精神科医コルサコフはある論文を書いていた。彼は、アルコール中毒者などを診察するうちに、彼らの脳には「記銘力障害、見当識障害、作話」の三徴候が認められることに気付いた。つまり、彼らには、記憶の欠損した部分を勝手な「作話」で埋めるという特徴があるのだ。彼はこれを「コルサコフ症候群」とする論文を書いていた。
 コルサコフはまた、「作話」に関連するもう一つのテーマを持っていた。それは「魂は存在するか」という古今東西問われ続けて来たものであって、それは次のように展開した。
 ある日、彼の眼前で一人の患者が息を引き取った。患者にとっては生命現象の終わりであった。しかし彼は、「命」ある肉体が「命」を失ったのだから、「命」は肉体から抜け出て「魂」になったのだ、というように理解した。だが、その時はっと気付いた。よりによって、「作話」を探求する自分が「作話」をしていたのだ。「魂」とは、いま死を目撃した自分が、自分の脳の中で辻つま合わせに作った「作話」だったのだ!「魂」とは、決して「死者の周囲にプカプカ浮かんでいてやがて神の御許に飛んで行くようなもの」ではなかったのだ!この発見は正にコペルニクス的転回であった。
 しかし、この考えは神や教会に反するだろう。科学的に立証できなければ、医学界にも受け入れられまい。そう考えたコルサコフは、この「魂」に関する論文を断念したのであった。
(作者註:勿論このストーリーは史実ではなく、6行目から下は作者の「作話」でした。すみません)

     青森県医師会報 平成22年8月 567号 掲載


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