禿山の一夜                          目次に戻る


 
西暦20××年、神無月。日本の神々が出雲大社に集まっている頃、世界の神々はブロッケンの禿山に集まっていた。だが今宵の集いは、魔界の住民たちが集う「ワルプルギスの夜」とは違っていた。キリスト、アッラー、釈迦如来という世界の宗教界のビックスリーを始めとして、ゼウス、アメン、シバ神、神農など、世界史に名を馳せた歴代の神々が一堂に会し、名も知れぬ悪魔や妖怪、神獣までもが群れ集っていたのである。夜が更け饗宴も佳境に入る頃、ある無名の悪魔が神々の前に躍り出、酒杯を片手にこんな演説を始めた。

 「諸君!かつて地上は無数の神々と神話で溢れていた。古き良き時代だ。それぞれの民族はそれぞれの神を持ち、その神に全てを託して戦った。勝利した民族の神は唯一絶対の神となり、敗北した民族の神は邪宗の悪魔に格下げされ蔑まされた。地上に無数の戦いが繰り返され、その陰で何と多数の神々が悪魔や妖怪に貶められ姿を闇に隠したことか。やがて、人間どもの戦いが巨大化するにつれ、神々は民族を越え国境を越えて巨大化して行った。その結果、昨今の世界はどうだ。否応なしのグローバリゼーションの結果、神々の社会も格差拡大の一途だ。
 恐れながら、キリスト様は多数の大聖堂をお持ちだし、アッラー様も各地に大きなモスクをお持ちだし、釈迦如来様も多数の仏閣をお持ちだ。ビックスリーの方々は宿るところに事欠かない。しかしわれわれ悪魔に貶められた者たちは、住み家を追われ、廃屋や洞穴に住んで雨露をしのぐ始末だ!
 ビッグスリーの方々は、天上の幸福と人類の平等を説いて、それなりの功績があったかも知れない。しかし、地上にアウシュビッツのような悲惨が繰り返されても、神々は沈黙のままだった。そして人間どもは神々に祈ることを止めた。かつて神々の仕業だとされた驚異的な自然現象を、人間どもは科学的に説明するようになった。人間どもは合理性の名の下に、神々を捨てた。人間どもは言い始めた。宗教は麻薬だと。弱者が、天上の平等を夢見て、現実の格差を忘れるための麻薬だと。それは奴隷のためのものだと。そう言い始めた。
 諸君!人間どもは神々を離れ、経済原理に走っている。強者の欲望を効率よく最大限にしてくれるからだ。経済原理は必然的に格差拡大を招き、これによって人間どもは自らの首を絞め始めた。神々を失った人間どもは悲惨だ。物欲の享楽と利己の経済原理しか持たない、そういう人間どもの漂流が始まったのだ。かつて民族はその共同社会の規範としての神々を持っていた。しかし今、神々が無くなれば、全てが許されるのだ。裏切り、暗殺、虐待、拉致など、枚挙にいとまがない!」

 そこへ女神ワルキューレが到着した。彼女は、ペガサスに乗って戦場を駆けめぐり、自らの理想のため勇猛果敢に戦って死んだ勇士たちの魂を探し出し、天上の宮殿へ送り届けることを任務としていた。彼女は弾む呼吸を押さえながら訴えた。
 「皆さま!昨今の戦争には、自らの理想と矜恃を持って戦う戦士は見当たりません。戦死者は、貧困ビジネスや戦争ビジネスの犠牲になった兵士ばかりで、その魂を天上に運ぶ仕事は大変空しいものです。いまや天上の宮殿は経済原理の犠牲者で溢れているのです。兵士たちの行いは個人の責任ではなく、裁かれるのに無理があります。もはや神々の手になる「最後の審判」など誰も信じておりせん。それは教会の壁画か、レンタルDVDの中にしかないものです。それよりも、物欲の経済原理の果てに来る核戦争のほうが桁外れに怖いのです。この地上に核ミサイルの射程をのがれる土地はなく、善人も悪人も一網打尽だからです。いま人間たちは原子爆弾の前に跪いているのです!」

 これを聞いたキリストもアッラーも、自分の出番を失っては大変だと奮い立ったようだ。背水の陣を敷いて「最後の審判」を断行しなければと、その準備のために早々と天上へ帰って行った。釈迦如来は、弥勒菩薩による衆生救済をもっと早めて貰おうと、兜率天へ向けて急ぎ出立した。居残った神々や悪魔や妖怪は右往左往するばかりで、ブロッケン山上は騒然となった。
 突然、雄鶏が時を告げ、村の教会の鐘が鳴った。東の空が白み始めたのだ。今宵の饗宴が今生の別れとなるかも知れない。神々や悪魔や妖怪たちは、それぞれ次回の再会を期して、それぞれの闇の中へ消えて行くのであった。

     青森県医師会報 平成22年10月 569号に掲載


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