若きK医師の「罪と罰」              目次に戻る


 西暦20××年、ある夜。若き研修医であるK医師は病棟の仕事を済ませると当直室のベッドへ潜り込んだ。臨床医となって三年が経ち、大概の病気は一人で診られるようになっていた。一人の患者さんの入院から退院まで対処できるようにもなって、大いに自信に満ちていた。病棟でいつもの患者さんがいつもの発作を起こした時などには、「あんな患者さん、生きていても仕様がないんですよね」と、まるで患者さんの生殺与奪の権を持っているかのような、そんな態度すら見え隠れしていたのである。それでも病棟では、我が子を叱るかのように教え諭してくれるA看護師長さんには頭が上がらないし、B看護主任さんには失敗のたびにお世話になっていたのだ。
 当直室のベッドへ潜るとK医師は文庫本を開いた。ドストエフスキーの「罪と罰」だ。忙しい時ほど読書したくなる癖は学生時代と変わらなかった。そのストーリーはおおよそ次の通りであった。
                    ☆

 主人公ラスコーリニコフは頭脳明晰な貧乏学生であり、独特な思想を持っていた。それによれば、全ての人間は凡人と天才に分けられていて、凡人は支配され法律に服従し、子孫を残すためにのみ存在する。それを支配するのは「数百万人に一人」生まれて来る天才である。天才とはナポレオンやムハンマドのように、世界に新しい思想や革命をもたらす人間であり、新しい世界を造るために人を殺してもいいし、新たな法律を作る権利も持っている。しかも自分には法律は適用されないのだ。
 彼は考えた。もし彼が、貧民から暴利を貪るあの強欲の金貸し老婆を殺して金品を奪ったとしても、それを貧困に苦しむ人々のために使えば、それは正義なのだ。その正義を実行できる者が天才なのだ。そう考えた彼は、自分がその天才であることを証明するために、老婆を殺してしまう。事件を担当した予審判事ポルフィーリーはラスコーリニコフが真犯人であることを直感的に見抜き、心理的に執拗に追い詰めて行く。ラスコーリニコフは、予想に反して良心の呵責にさいなまれて行く。
 その時知人の娘で娼婦であるソーニャに出会う。彼女は敬虔なキリスト教徒であり、幼い弟妹ら家族を救うために自分を犠牲にしあらゆる苦しみに忍従している。彼はその姿に強く心を打たれて、「金貸し老婆を殺したのは自分だ」と彼女に告白する。彼女は「あなたは何て不幸なのでしょう。あなたはこれから罪を償うのよ。今すぐ広場へ行ってひざまづき、あなたが汚した大地に接吻して、私が殺しましたと大声で言うの。私はどこまでもあなたについて行くわ」と応える。彼は自分の思想が正しいと考えながらも耐え切れず、ソーニャの勧めを入れて、警察へ自首し、自分を罰する道を選ぶ。彼は、シベリアの監獄で刑に服しながら、追ってきたソーニャの限りない愛のもとで、人生の耐え難い苦痛と限りない幸福を感じる。そんな魂の再生の物語だ。
               ☆

 K医師は、ページを追いつつも溜まった疲労に勝てず、深い眠りに落ちて行きながら、この小説とそっくりな夢を見始めた。その夢の中でのK医師は、19世紀末ロシアの古都ペテルブルクに住み、キリスト教会の貧民救済院に医師として勤務している、という設定になっていた。彼は、ロシア辺境の寒村の貧家に生まれた利発な子であって、奨学金を得て逃げるように故郷を離れ、ペテルブルクへ来て学び、最難関の医学校を卒業して難しい医師の資格試験に合格した、という設定になっていた。その試験は、膨大な筆記試験によってのみ合否が判定されるので、その合格者には天才と努力人と変人が一定の割合で含まれているのは当然のことであった。彼は自分が天才であることの証明が欲しかった。
 夢の中のある夜、K医師が救貧院の仕事を済ませて当直室のベッドに潜り込んだ時、使い走りの子が患者の急変を伝えてきた。往診するいつもの患者がいつもの発作で苦しんでいると言うのだ。「やるなら今だ」K医師は予め準備していた偽薬を鞄に忍ばせ、白夜で薄明るい街路へ出た。○○通りを△△運河に沿って行き××館に入って階段を登り、最上階の屋根裏部屋に着いた。そこでは、貧乏な老母や娼婦姿の娘や子供たちが肩寄せ合って暮らしている。その部屋の一隅を占拠するベッドで、いつもの患者がいつもの発作に喘いでいた。この患者は生まれつきの悪党で、多額の借金をしては賭博で蕩尽し、喧嘩と泥酔の絶えない男で、たくさんの病を持っていた。稼ぎのない家族はサモワールでお茶を沸かすどころか1ルーブルも1コペイカの金もないのだ。彼の闘病生活の負担は目に余るものであった。彼の命に価値はなく、その延命を望む者は誰もいない筈だった。家族のためにその悲惨を終わらせるのが正義というものだ。それは医師の裁量権というものだ。それが出来るのは特権を持つ自分しか居ない。正義を貫くのは天才の義務だ。そう考えて疑わなかったK医師は、淡々といつも通りの処置を済ませてから、「いつもの大事な薬だから」と家族に話して、今回は何の効果もない偽薬を大事そうに渡して別れを告げた。屋根裏部屋を後にしながら、
「後は自分が死亡診断書を書けばいいのだ。誰も分からない。首尾良い出来だ!」
と内心意気揚々としていた。
 翌朝、救貧院のK医師のもとに、「いつもの患者が息を引き取った」と使い走りの子が伝えてきた。そして家族の者たちが大層その死を嘆いていると伝えたのだ。K医師は動揺した。愚かな患者の死を愚かな家族が泣いて嘆いているだと?ああ嫌だ、止めてくれ、天才の俺には関係ない。余所へ行け、さっさと消えちまえ!俺は社会正義を果たした筈だ。それなのになぜ俺はこんなに混乱しているのだ?凡人でないことを証明した筈だ。それなのになぜ俺は警察の影に怯え始めたのだ?。俺は何者なんだ!
 そこへ、A看護師長が登場した。夢の中ではキリスト教の尼僧の姿をしている。看護師長が言う。
「あんたの正体はね、自分が天才だと勘違いし、自分だけが正しいと考え、自分以外の人間を軽蔑している、世界中に腐るほどいる凡人の一人だわ。天才と凡人を区別する方法が人殺しだなんて、そいつはマズイわ。それなら、自分が天才だと勘違いした凡人が次々と人殺しに走るわ。あんたはただの人殺しさ。もしあんたが天才なら自分で自分を罰しなよ。それが出来なければ、やはりあんたはただの凡人だわ。そもそも医者の中には自分が天才だと勘違いしている者が少なくないわ。天才に医者の仕事は不向きさ。むしろ凡人と付き合える、凡人のために一緒に泣ける、それが医者というもんさ。天才は要らんのさ。医者と病人を結び付けるのは給料だと、あんたは割り切るだろうさ」
 次に、B看護主任が登場した。夢の中では娼婦の姿をしている。家族を失った不幸を嘆きながらも、今までお世話になったお礼を言いに来たのだという。その姿を見たK医師は必死に問い詰めている。
「君はいかがわしい仕事で得た金をあんな家族に渡し、自分は貧乏暮らしか?。逃げたらいいじゃないか。故郷や家族なんか捨てて自由に生きようと思わないのか!」
娼婦姿のB主任が言う。
「なぜ逃げるんです?みんな私の大事な家族です。私が神様を信じるのかって?そうよ、神様がいるから私は生きているわ。その神様が私に何をしてくれたかって?私の恥ずかしい行いを神様が許して下さるのかって?いいえ何も。私に出来ることはただ祈ることだけよ。みんな苦しみを背負って生きているのですから・・」
 K医師はついに耐えかねて真情を吐露した。
「俺は、あの夜患者を死なせ、同時に自分自身も殺してしまった。苦しいんだ!俺は何者だ?これからどうすればいいんだ!」
娼婦姿のB主任が言う。
「ああ!あなたは何て不幸なのでしょう。あなたはこれから罪を償うのよ。今すぐ広場へ行ってひざまずき、あなたが汚した大地に接吻して、私が殺しましたと大声で言うのよ。過酷な勤務医の心神耗弱を理由に減刑を嘆願しましょう。私はどこまでもあなたについて行くわ」
と応えた。K医師は広場へ出て、往来に群がる人々の中央に進み出、ひざまずいた。大地に接吻して、
「私が殺しました!」
と大声で叫ぼうとしたら、ポケットの携帯電話が鳴っている。
                    ☆

 K医師は夢から覚めた。当直室のベッドにうつ伏せになって、ごわごわシーツに顔を埋めているので息が出来ない。携帯電話がまだ鳴っている。病棟でいつもの患者さんがいつもの発作で苦しんでいるというのだ。K医師はベッドから飛び降りると白衣を羽織って当直室を飛び出した。尼僧姿のA看護師長さんや娼婦姿のB主任さんが脳裏を掠める。K医師は、それらを振り払うようにして、病棟への廊下を急ぐのだった。

     八戸地区弘前大学医学部同窓会誌「はちのへ」第44号 掲載


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