見つからない”あなた”と”私”            目次に戻る


 還暦を迎えたK先生は、向後の身の振り方が気になり始めた。それで、先ずは書棚の整理からと思い立ち、古い箱から順に処分を始めた。先ず、医学生時代に書いた解剖学実習のスケッチが出てきたし、セピア色に褪せた「白菊会」のパンフレットも出てきた。「白菊会」とは、ご自身のお体を医学の向上のために献体して下さる篤志家の会だ。その貴重なお体で解剖学実習をさせて頂いたのだ。
 そうだ、あの頃、
「将来自分も献体してこのお返しをしよう。遙か遙か将来のことだけど」
と確かにそう思ったはずだった。
 次いで、色褪せたレポートが出てきた。実習の終わり頃に課されたもので「解剖学実習を終えて」という題が指定されていた。その時の若きK先生が書いたレポートは「見つからない”あなた”への感謝状」という副題を添えたものだった。
 それを拾い読みしてみよう。
 
 ・・・「黙とう!」解剖学教授の厳かな声が響きました。白い布に包まれた”あなた”の傍らで、私は平静では居られませんでした。そこには私の知っている稚拙な思想や宗教の這い入る余地が全くありませんでした。”あなた”は、私の眼前に横たわり石炭酸の臭気を放ち、手に重く冷たくそこにあるのです。私はただ一個の無能な医学生として立ち尽くして居りました。”あなた”の静謐な眠りに畏怖の念を抱いたのです・・・
 「”あなた”はどこへ行かれたのか?」解剖を通じて常に心に懸かる問題でした。・・・石炭酸でお顔を洗うたびに、お顔に表情が戻ります。目頭に涙を溜め、顔中から汗を流しているように見えて、まるで”あなた”がまだここに居るような気がするのです。でも解剖が進むにつれて次第に明白になって行きました。ご遺体の何処にも”あなた”は居なかった。いま解剖学実習を終えて、もはや形を保たぬお体を前にして、”あなた”はいま、どのようなお姿で、どこに居られるのだろうと思うのです・・・そんなに遠くない将来、私がそちらへ往ったとき、恥ずかしい思いをせずにお会いできますよう、これからの半生を生きねばなりません。”あなた”の貴重なお体で勉強させて頂き、有り難うございました。私の持てる精一杯の気持を込めた感謝状を差し上げ、ご冥福をお祈りいたします・・・
 
 ややもすると思い出の整理は頓挫しやすい。懐かしさで一杯のK先生は、書棚の脇の解剖台のように固いソファーへ仰向けになると、眠りに落ちて夢を見始めた。
 その夢の世界は、忘れもしない昭和○○年当時の解剖学実習室そのものであり、ただ一つ違うのは、今度はK先生ご自身が献体されご遺体となって、これから解剖されるという設定だ!固い解剖台に仰向けになって静謐に眠るK先生の脇には、これまた若き頃のK先生と覚しき医学生がメスやらノコギリやらを持って控えていた。
 彼は何やらつぶやいている。
 ・・・”あなた”はどこへ行かれたのか? ”あなた”はまだ脳の中にいる? 教養課程の「西洋哲学史」の講義で聴いたぞ。確か、デカルトが精神と肉体を認める心身二元論を唱えて、人間機械論が始まったと。脳の中にはデカルト劇場があって、ホムンクルスという小人の観客が居て、精神の役目をしていると。でもそれはライルの「機械の中の幽霊」という論文により論破されて、物理主義的に心を科学することが始まったのだと。でも本当にホムンクルスって居ないのかな?・・・

 「黙とう!」解剖学教授の厳かな声が響いた。解剖台の上で白い布を剥がされたK先生は平静では居られなかった。四肢と体幹の解剖は瞬く間に終了し、メスやらノコギリは残る頭部へと向かって来た。頭蓋が開けられ、脳が取り出され、大脳、間脳、中脳、小脳などに分割されて行った。若きK医学生が言う「あーあ、やっぱり”あなた”も小人も居ないよー」の声を聴きながら、K先生は、ご自身の脳が分割されるに従って意識を失い、そして夢から覚めたのだった。

 書棚の脇の固いソファーの上で、K先生はつぶやいた。
・・・"あなた"も見つからず、"私"も見つけ出されなかった。・・・
どちらも、一握の砂が指の間を流れ落ちるように、見失われたのだ。しかも、一つの人体において、互いに擦れ違うようにして。
 K先生は幼少の頃、ふと「"私"って何だろう」と不思議に思うことがあった。還暦を迎えた今でも、"私"は見つからない。その頃と何も変わっていないのだ。
 

     青森県医師会報 平成24年11月 594号 掲載


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