ゴ ジ ラ                     目次に戻る


 平成26年7月、新進気鋭のK監督は有楽町マリオンの映画館で「GODZILLAゴジラ」を見た。その映画は、日本発の特撮映画「ゴジラ」をハリウッド映画界がコンピューターグラフィックスを総動員して再創造したものだ。そのゴジラは近未来の東京を壊滅させるほどに圧倒的で恐ろしい存在だった。K監督は、そのゴジラを見終わると、茫然自失の体で館外へ出た。銀座の歩行者天国まで来ると、大きな溜め息とともに呟(つぶや)いた。
「こんな筈ではなかった・・・」


                 ☆

 K監督の前半生は、「ゴジラ」と共にあった。
 小学生の頃は家族でしばしば「ゴジラ映画」を見に行った。そもそも「ゴジラ」は、ジュラ紀の地層に眠る恐竜が、アメリカの水爆実験による大量の放射能を浴びて蘇生し、自然を破壊する横暴な人類の悪に復讐をするというストーリーであった。それは子供にも分かりやすく、怖いながらも正義の味方なのであった。事実、その頃の子供たちの学習机はゴジラグッズで一杯だったのだ。
 中学、高校の頃、理想主義的となった彼は、社会に巨悪が堂々まかり通っている現実を知った。それに対して未熟な自分が余りに無力だと知れば知るほど、ゴジラは既成社会を破壊する偉大なヒーローと成っていったのだ。
 N大学芸術学部へ進学すると、ためらうことなく映画監督を志したのだが、もちろん茨の道であった。下積みの生活が続くうちに、いつしか不遇の悲哀をかこつようになっていた。社会に受け入れられず社会を恨んだ彼は、自分が大義を抱きながらもアウトローとして社会から葬られるのだと感じた。ゴジラもまた人類の総攻撃を受けて地上から葬られる。K監督は、ゴジラの後姿に、共に敗北者であることの同情と郷愁をすら感じていた。いつか必ず自分が究極の「ゴジラ映画」を作り上げてやるんだ。その思いは募るばかりだった。
 しかし、いま見終えた「GODZILLAゴジラ」は、感情移入するには余りに巨大すぎて不可能だし、圧倒的な無意味な破壊を続けるゴジラとは一体何者なんだ!そういう根本的な疑念を強くしたのだった。
「こんな筈ではなかった・・・」

                ☆

 K監督は、銀座「サッポロライオン」で、ビールの大ジョッキーを一気に飲み干すと、路上に出された椅子に身を任せた。「GODZILLAゴジラ」について頭の中を整理しようと思ったのだが、ビールの酔いと人混みの酔いとで変な居眠りを始め、夢を見始めた。
 夢の中で、K監督は「ゴジラ映画」のメガホンをとっていた。
 かつてのゴジラは国会議事堂を尻尾で蹴散らし、東京タワーをへし折り、モスラなどと闘っていた。思えば可愛いものだ。しかし今夢の中で目にするものは、崩壊する摩天楼が巻き上げる膨大な砂塵ばかりで、ゴジラの姿が見えない。ただ雄叫(おたけ)びと大地を闊歩する地響きとが耳をつんざくばかりだ。
 そんな夢の中でK監督は考える。崩壊する摩天楼は失敗した資本主義の象徴だ。それは人類の営みを全て金銭に換算し、貧富の格差を増大させた。その結果、ほとんどの人間は貧乏人になったし、全ての人間が心を失った。
 社会主義は、その掲げる理想とは裏腹に、全ての人間から自由を奪い、従わぬ者を抹殺した。
 これらの主義に代わって、全ての人間を幸せにできる主義は無いものか?しかし、ゴジラは留まることなく破壊して行く。
 夢の中でK監督はキリスト教徒に質問する。「神とゴジラとどちらが恐怖か?」。彼らは答えた。たとえ「最後の審判」が来て天が裂け地が割れても怖くない。神の御心は皆が十分知っているからだ。ゴジラは数倍恐ろしい。何を考えているのか全く分からないからだと。
 K監督はイスラム教徒に質問する。「アラー神とゴジラとどちらが恐怖か?」。彼らは答えた。「運命は全てアラー神によって決められているとコーランに書かれている」と。ゴジラが「コーラン」に従う筈もないのにだ。
 K監督は仏教徒に質問する。「大日如来が我々をゴジラから救ってくれるのか?」。彼らは答えた。「ゴジラは貴方のこころの迷いが創った幻です」と。K監督は、自分が悟りの境地に入ってゴジラが消えるまで、ゴジラが待ってくれるとは思えなかった。
 今、狭くなった地球の上では、正統的な思想・宗教がそのままでは、共存共栄できなくなっている。融合か、折中か、棲み分けが必要なのだ。全世界史を一つの思想・宗教で包括できた人物は居なかったのだ。現代のゴジラは思想・宗教など持っていない。知ることも考えることも無く、ただただ本能的に人類の歴史を全て破壊し続けて、後に何も残さない。人間は信仰・信条がなければ生きていけないのにだ。
 今まさに迫り来る人口爆発、地球温暖化、人類の破滅・・・。K監督は遂に気付いた!
 現代人が心の最下層に持っている、思想・宗教の全てに対する拭い難い不信感。何時か突然、必ず訪れる人類の壊滅的な終焉。その茫漠たる予感。それらを「ゴジラ」と呼ぼうが何と名付けようが、これが「ゴジラ」の正体なのだ!人類が桃源郷を手にしない限り、「見えざるゴジラ」は永遠の怪獣として人類を追い続けるのだろう。
 巨大化を続けるゴジラは、遂に雲を突き抜け、その尻尾がK監督の肩を叩いた!

                 ☆

「お客さん!起きて下さい。歩行者天国は6時で終わりです。もうすぐ交通規制が解かれて、この通りに車列が入って来ます。急いで移動して下さい!」
 K監督は、ウェイターに肩を叩かれて、夢から覚めた。路上の無数の歩行者は蜘蛛の子を散らすように移動を始めていた。それぞれが内面に「ゴジラ」を抱えているみたいに、何かを恐れ、寛(くつろ)がず、急ぎ足に彷徨(さまよ)っているように見えるのだった。

     青森県医師会報 平成27年 1月 620号 掲載


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