バルセロナにて                 目次に戻る


 開業医のK先生は、妻とフルムーン旅行へ出発した。バルセロナ行きJAL5321便のエコノミー席に座ると、ご自身の「来し方・行く末」に想いを巡らし始めた。
 K先生は、昭和○○年、北国の医療過疎の村に生まれた。医家の出自ではないが、「医者になって村に帰ってきたら立派だぞ」という周囲の期待に応えようと、必死の努力で医学部へ進んだ。医局生活を終えて、医療過疎の生地で内科診療所を開業して、もう20年余りが過ぎた。精神、身体ともに丈夫でないK先生にとって、医師生活はストレスだらけであり、重圧に潰されそうだったのだ。
 そもそも「自分が、この時、この土地に、この境遇で生まれ、この人生を送って来た」のは何の因果なのだと、折々にくり返し自問して来たのだが、未だに答えが分からなかった。さらに、やっと借金を返して開業医生活の峠を越したものの、体力・気力の衰え、後継者なし、娘たちの将来、両親の看取り、自分と妻の老後などなど、心労が尽きないのだ。それやこれやを考えると、折角の旅行も心から楽しむ気持になれないのだった。
                    ☆

 JAL5321便はバルセロナ国際空港に着陸した。ここはスペイン第二の都市でカタロニア地方の中心都市だ。住民はカトリック教で、陽気なラテン民族だ。地中海式気候であり、年中温暖で乾燥している。毎日が快晴で、紺碧の空に雲を見ることがない。郊外にはオリーブ畑が広がっている。
 K先生らのバルセロナ観光の初日は、サグラダ・ファミリア大聖堂からスタートだ。その巨大な建造物の外壁は、彫刻の群像で構成されていた。朝日が当たる東の外壁はイエス・キリスト「誕生」の物語で、南の外壁は彼の「栄光」の物語で、西の外壁は彼の「受難」の物語でそれぞれが構成されていた。その壮大な建造物に圧倒されて、言う言葉がなかった。初日からヨーロッパ文化による強烈な洗礼を受けたのだ。
 
 二日目は、朝から「海の聖母」教会へ向かった。この教会は、地中海貿易の航海安全を祈願して建てられたもので、カタロニア・ゴシックの傑作だそうだ。開門してもまだ日曜礼拝の時間に至らず、カトリック教徒らは集まっていなかった。この時間帯を狙うように、正面入り口の片隅にジプシーらしい女が居た。若くもない清潔でもない体に汚れた民族衣装を着て跪いている。もの悲しく何か歌いながら、ブリキのカップを差しのべている。大道芸をしながら移動する「流浪の民」か、不浄の仕事をする不可触民だ。そのカップに憐憫の情の分だけ小銭が入れば良いのだった。日曜礼拝が始まる頃には人知れず姿を消していた。
 次は、ピカソ美術館に行き、長蛇の列の順番待を待って入館すると「青の時代」などを見た。そこから少し移動してダリ美術館も見た。

 三日目は、カテドラル大聖堂を見て、その前の広場を散策した。広場の一隅には多数ののテントが張られ、ノミの市が開かれている。東西古今の骨董品や日用雑貨が様々に並べられ、掘り出し物を探し求める人々で賑わっている。「11世紀ラマンチャ製」の教会の鐘が吊してあり、叩いてみると澄んだ音がした。その当時も、同じように辺りの空気を振るわせて、人々の心を敬虔な祈りへ誘った事だろう。「15世紀モロッコ製」の媚薬入れの小箱がある。かつてこの媚薬がどれ程か殿方の心と体を高ぶらせ撹き乱してきたことか。古い書籍も山積みしてあり、パスカル著「パンセ」や英国詩人ラインホルト・ニーバーの詩集などが日常生活の風景として並んでいる。
 ここのノミの市では、客も骨董品だ。一番の骨董品は東洋からやって来たK先生だ。背中には「医師歴xx年、日本製、多少瑕疵あり、委細相談」という説明の値札が付いている。ふと気付くと、テントの片隅にジプシーの物乞い女が立っていた。小柄な体に民族衣装を着て無表情でマグカップを持ち、買い物客の釣り銭がカップに落ちるのを待っている。この女も骨董品のようだ。
 K先生の隣で、店主と値踏み交渉していた客が、唐突に「ケセラセラ!」と言った。それは、「成るように成るさ」とか、「明日はあすの風が吹く」といった意味の、古いブロークンなスペイン語の成句なのだった。ここのノミの市では、言葉までもが骨董品だ。その言葉は、昔から使い古されていて、便利で、意味深くて、しかも無料なのだ。
 プラタナス並木のランブラス通りを歩いてサン・ジョゼップ市場へ着いた。スペイン随一の規模を誇る市民の台所だ。あらゆる食材が山のように並べられている。K先生らはその市場を行く人々を眺めていた。地元の人々や様々な人種の旅行客であり、それぞれ陽気で逞しく、夕食の食材や土産を買い求めていた。皆それぞれに来し方行く末に悩みを抱えているはずなのに、紺碧の空のもと、何の屈託もないかのように、今日一日を陽気に過ごしているのだった。ここを通り過ぎる人々は一人の東洋人の心労なんか知りもしない。それぞれに自分の生活が大事で、楽しくて、心労なんか損なだけなのだ。

 四日目は、タクシーを頼んで海岸沿いに走ってもらった。浅黒いメタボな運転手が、
「おお、あんたらハポン(日本人)か!」
と言い、親指を立てて、グー(笑い)と身振りした。
この眩しいバレンシア・ブルーの地中海の向こうから、かつてイスラム教のアラビア人が攻めてきて、アルハンブラ宮殿などを残して去ったのだ。
 バルセロナ最後の夜は、夜道をマイクロバスに乗って洞窟へ行き、「フラメンコを見ながらの夕食」コースに参加した。フラメンコを披露するのは「流浪の民」たちだ。彼らの祖先は、11世紀に東方(インド北部)から移動を始め、迫害を受けながら、この西方の果てに辿り着いたのだそうだ。舞台に立った歌い手の男は張り裂けるような声で歌い、ギター弾きの男は激しく弦をはじき、踊り手は執拗にステップを踏みしだき、渾身の力で踊っていた。そして汗を飛ばすほどに激しく怨念を爆発させると、きりりと背筋を伸ばして天を睨み、踊りを終えた。彼らは、民族の「来し方・行く末」の悲哀と苦しみを、舞台の上で再現していたのだ。彼らは、客席に座っているK先生らとは全く違った星の下に生まれたのだ。何処でこんなに出自が違ってしまったのだろう?彼らはその「流浪の人生」を自ら望んだのであろうか!

 異境にいる疲れが蓄積し、ワインと人混みに酔ってしまったK先生は、ホテルの部屋に帰り着くなりベッドに倒れ込んだ。ジプシーの魂の叫びで心をゆさぶられたK先生は、たちまち眠りに落ちると、不自然な心境のまま夢を見始めた。
 夢の中で、K先生は、真夜中の古いカトリック教会の中にいた。燭台の灯りの下には、席を埋めた無数の人々が見える。その中にいて、K先生も両手を組んで頭を垂れ、跪くように座っている。辺りを覗うと、左隣の妻の向こうに「海の聖母」教会で見かけたジプシーの物乞い女が座っている。右隣にはノミの市で見かけた骨董品のような物乞い女が座っている。後ろの席には、フラメンコの歌い手と、ギター弾きと、踊り手の女が座っている。その後ろの席では、タクシーのメタボ運転手が十字を切りながら親指でグーを出している。
 一人の神父が祭壇に現れ、皆に呼びかけた。
 今晩ここにお集まりの皆様のために、英国の詩人ラインホルト・ニーバーの詩をご紹介しましょう。
「 Bloom where God has planted you.(神がお植えになった所で咲きなさい) 」
 貴方が、何時、何処で、どのような出自であれ、何の仕事に就こうとも、それは神の御心によるのです。「神の御心のままに咲きなさい」
 まるでK先生を名指して説教しているみたいに、K先生の「来し方」の問いに答えているのだ。信者らは頭を垂れ、物乞い女たちは涙ぐんでいる。
 神父は続けた。今日はマタイ福音書「山上の垂訓」第6章より、み言葉を学びましょう。
「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に収めず。野の花がいかにして育つかを思え、労せず、紡がざるなり。明日のことを思い煩うな。一日の苦労は一日で足りる」
 まるでK先生に向かって説教しているみたいだ。「心労は不要。神が良くしてくださる。鳥も花も、ましてやあなた方をも」というのだ。信者らは頭を上げ、物乞い女たちは涙を拭いている。
 神父は最後に十字を切り、そしてアーメンと祈らず、呟いた「ケセラセラ」・・・
                    ☆

 JAL6854便はバルセロナ国際空港を離陸した。高度を上げて行くその機内で、K先生はこの四日間の出来事を想い返していた。
 あの神父の説教によれば、自分は花の種なのだ。神は、かくも遠くの東洋に、私という種を植えられたのだ。キリスト教の国に来たら、自分の「来し方」を説明するのに、やっぱり神を持ち出すことしかないのか。そして「行く末」もまた、神の御心のままに、「ケセラセラ」なのだ。
 K先生は、この旅行でジプシーたち(ロマ族)の悲哀を見た。そのことで、自分の心労を相対化し、心中のしこりを解きほぐした、そんなカタルシスの旅だったのだ。
 「旅をしなさい。それは長生きより意味がある」と、何かで読んだことをK先生は思い出していた。
     青森県医師会報 平成27年 9月 628号 掲載


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