ある挽歌                     目次に戻る


 西暦20XX年、ある日の午後。医療過疎の町の上空に一艘の宇宙船が停留していた。船内には二人の宇宙人が乗っていて、おおよそ次のような会話をしていた。
 
 [操縦士] 船長!私たちは遂に到着しました。あの建物が目的地であります!
 [船 長] そうか!思えば遠い道のりだった。我々の伝え聞くところによれば、宇宙の創造主ブラフマンが、宇宙の真理を極めたシャカ族の尊者を訪ねて、その真理の教えを全ての宇宙人に説き広めるよう要請したというのだ。更にこの惑星では、医療者までもが、その教えに至るための鍛錬法に「マインドフルネス」と名付けて、医療の現場に役立てようというのだ。我らは、それに学ぼうと思い立ち、祖国の星を出立したのだった。
 [操縦士] はい。自分は船長のその気持ちを汲んで、本船のナビゲーターに「銀河系、太陽系、第三惑星(地球)、釈迦」と入力し、目的地に設定したのです。そしたら目前のあの建物に導かれた訳であります。
 [船 長] ご苦労であった。どれどれ、おや?あの建物には「釈迦メモリアルホール」と看板が出ているが、釈迦ゆかりの建造物かと思ったら、葬儀場のようではないか?入り口の掲示板には誰かの日程が書いてあるぞ。「故 K医師 葬式」とある。昨晩の通夜は親族だけで済ませたとある。今日はこれから、お世話になった方々とお別れの儀式をするらしい。釈迦の弟子ともいえる僧侶たちは、このホールでいったいどんな教えを説くのだろう?是非知りたいものだ。
 [操縦士] はい船長。では、極小ドローンを潜入させて、建物の中をモニターカメラで覗いてみましょう。こちらの液晶ディスプレイをご覧下さい。いまホールの入り口では、会葬者たちが思い思いに入場料を支払っている様子が見えます。
 ホールへ入ると、正面の祭壇に大型スクリーンがあって、「故 K医師」の生い立ちが、スライドショーになって放映されています。涙を誘うようなナレーションと甘美な音楽が流れています。
 それによりますと、K医師は無医村のようなこの土地に生まれ、医師家系の出自でもないのに、周囲の人々からの有形無形の期待に応えようと、医師を目指したようです。そして導く先輩もないまま、やっとの思いで郷里に診療所を開業したものの、同僚もいなくて孤立無援の奮闘だったようです。後継者を求めても難儀する始末でした。
 彼は、お世話になった郷里の人たちが次々と死んで往くのを診ながら、何もできない自分を医師として「落ちこぼれ」だと感じていたようです。遂に弓折れ矢尽き、満身創痍となって命尽きたという様子です。気持ちが弱かったのでしょう。これでは医師は務まりません。
 おや?何か始まるようです。アナウンスが流れています。
「では、ただ今より、導師様ご入場です。皆様、合掌の上、心静かにお待ち下さい」
 あっ、誰か出てきました。あれが導師様ですか?スキンヘッドで古色蒼然の衣裳で着ぶくれています。祭壇の遺影に向かって何やらパフォーマンスを始めました。ガシャン!バシャン!チンカンと銅鑼や鉦などの古臭い打楽器をひとしきり打ち鳴らして会葬者を仰天させています。おもむろに台座に座ると、木魚を叩きながら、唸り声を上げ始めました。
「摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄・・・」 延々と続きますが、何を唱えているのか、さっぱり分かりません。
 [船 長] あれは、釈迦の言行録を中国へ運んで、更に漢字に翻訳した経典というものだ。しかしその漢字をダラダラ音読したって、意味が分かるはずがない!凝縮された深遠な教えが語られているのに、全く伝わらない!彼らは、有り難い教えを難解にして、会葬者を煙に巻いているようだ。何と勿体ないことか!
 [操縦士] それでいて、導師様が、死者に長い戒名を与えて高額のお布施を求めたり、数珠の持ち方が間違いだと叱ったりする。本当に、釈迦は宇宙の真理としてそんなことを説いたのですかね?
 [船 長] いや、そんなことはない!この国では、釈迦の教えを理解することなく、宝の持ち腐れも甚だしいのだ!
               ☆

 [操縦士] ところで、肝心の「マインドフルネス」はどこへ行ったのでしょう?医療者がどのように利用しているのか知りたいと思ったのに、それが一番必要なのはK医師じゃないですか!K医師は、マインドフルネスで患者さんを救うはずが、自分自身すら救えなかったのですかね?
 [船 長] どうもそのようだ。先ず、K医師の性格のせいかも知れない。彼は、周囲の期待に応えようと「お利口さん」になり過ぎて、自分で自分を縛って、まるで盆栽みたいに縮まってしまったのだ。
 あるいはこの国の医学界のせいかも知れない。この国に着く前に、南米エクアドルの上空を通過したが、「ビーグル号航海記」で有名なガラパゴス諸島が見えたはずだ。あそこの生物は外界と切り離された環境で育つため、特異な生物相を形成している。K医師も、医学生の頃から医学界にのみ暮らしたため、ガラパゴス諸島の生物のように、次第に特異な人種に進化していて、社会との付き合いが下手だったのだ。
 あるいは、社会のせいかもしれない。例えば中国では、道家の選ばれた人物を「仙人」と呼んで敬った。「仙人は、人間界を離れて山中に住み、霞を吸って生きながら、不老・不死の法を修め、人知の及ばぬ法術を伝承する」とされたのだ。K医師らは、「仙人」じゃないのに、あたかもそのように振る舞うことを期待されてきたのだ。中には高齢のあまり診療中に倒れてしまった医師が出ると「医者冥利に尽きる」とまで礼賛されてしまう状況では、彼らは尚更のこと立派な「仙人」を演じ続けざるを得ないのだ。
 K医師は、その期待された医師像から逃れられず、「つらい、もう沢山だ、勘弁してくれ、自分が折れる、もう医師は嫌だ!」と心の中で叫びながら、周囲には言えずに来たのだ。適者なら医師職を全うすることも出来ようが、K医師は「自分は失格だ」と悩み続けたようだ。
 そうしているうちに人生が終わり、黄泉の国へ送り出されるのだ。
 いったいそれで本人たちは幸せなんだろうか?医師には不機嫌にしている人が少なくないが、その理由が分からんでもないな。好き好んで引き受けた訳でもない重責を背負わされ、立ち止まるも振り返るもなく、一生坂道を登り続けるなんて、可哀想な者たちではないか!
               ☆

 [操縦士] あー、やっと長い読経が終わりました。何と勿体ない、かつ無駄な時間だったのでしょう。喪主焼香に続いて、喪主ご挨拶が痛々しいです。次いで会葬者たちが順に焼香を済ませ、それぞれ痺れた足を引きずって正面玄関に向かうようです。
 極小ドローンが正面玄関ホールに移動しました。そこには黒塗りの大型キャデラック車がハッチバックのドアを開けて待っています。K医師の棺が運ばれて来て、車の後方へ押し込まれました。これから火葬、納骨の段取りのようです。いま出発準備が完了し、いよいよ「釈迦メモリアルホール」の正面玄関を出立です。
 キャデラック車が出発を告げるクラクションを鳴らしました、出棺です!
 パアーーーン。
 建物周囲の一帯に、長く尾を引いて、冷徹に耳を刺して、響き渡たります。何と荘厳な瞬間でしょう!
 [船 長] 中国では、葬送の柩車(きゅうしゃ)を挽(ひ)く者たちが歌を歌うのだが、その歌を「挽歌」(ばんか)というのだ。あの長く響き渡ったクラクションは医師たちへの挽歌のようだ。医師たちは、死者を送りだす過酷な仕事をしながら、真面目に頑張って疲弊し、燃え尽きてこの世を去る。そんな彼らへの挽歌なのだ。弱音を吐くこともできなかった哀れなK医師にとっても挽歌なのだ。彼らにもっと手向けるものが無いものか・・・
               ☆

 [操縦士] 船長、ご覧下さい!前方に、さっきの黒塗りキャデラック車を発見しました。町外れの共同墓地へ向かっています。墓地の上空は青空で、飛行機雲が棚引いています。せめてもの供養です。船長、K医師の努力は何だったのでしょうか?自己満足に過ぎないのでしょうか?この町の医療はこれからどうなるのでしょう?
 [船 長] 彼は生きるのが下手だったのだ。この可哀想な男に、我々も手向けの線香を二本、彼の墓前に投下しよう。何時かこの町に何処かの医師が落下傘のように舞い降りて開業するかも知れん。その医師はもっと上手に生きたら良かろう。この町は誰の縄ばりでもないのだから。

 操縦士が宇宙船のナビゲーターの目的地を再設定すると、宇宙船は急上昇してインド亜大陸の方向へ向きを変え、飛行機雲の彼方へ消えて行った。

      青森県医師会報 平成30年 7月 662号 掲載


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