銅版のキリスト                 目次に戻る
                                     


 平成××年×月×日、K先生は驚いた。H大学医学部第×内科の医局長先生から電話が入り、医局の信頼篤いA先輩先生が、医局の意向に従わず、任期半ばで町立病院長を辞めて、東京で開業したと言うのだ。よって、後輩であるK先生が直ちに当地へ赴き、事態を調査して報告し、また後任院長としてそのまま町立病院へ赴任しなさいと言う。全く、K先生のみならず家族共々青天の霹靂であったのだ。一体A先輩に何があったのだろう。
 K先生は、辺境にあって陸の孤島とまで呼ばれるこの町に急ぎ赴任し、その町立病院の実情を知るにつれ絶望感に襲われた。「自治体病院は冬の時代を迎えた」と言われてから既に余程の歳月が経っていたが、これ程とは!医師不足、古い設備、患者離れ、人件費アップ等々で億単位の累積赤字を更新していたのだ。更に、この町立病院から失踪したA先輩は杳(よう)として行方が知れず、K先生は途方に暮れつつも、孤軍奮闘の院長職を決意するしか生きる道がなかった。

 赴任して足かけ三年が経過した頃、K院長先生は疲れ果てていた。家族はこの町を去っていた。K院長は鬱屈してやり場のない心情を噛み殺していた。自分は何で医者になったんだ? こんな?末が分かっていたら、こんな道は選ばなかったのに。そもそも自分は医療過疎の町に生まれ育ち、お世話になった方々へ恩返ししようと、地域医療の医師を志して勉学に励んだのだ。医家の出自でもなく、親の仕送りで大学を出るとすぐに大学医局に入って働き、一所懸命にこの長い道程を来たのだ。挙げ句の果てがこの有様だ!
 「国の高額の税金を使って医者になったのだから、医者は患者に際限なく尽くして殉死するのが当然だろう」と上司や町民から無言の圧力がある。町民の中には、町立病院がもたらす西洋医学の恩恵にあずかった者も少なからずいたはずだ。なのに多くの者は、K院長の公務員給与が町一番高額であることを話題にし、日々の一挙手一投足を噂し合っていた。「自分たちは日銭を稼いで医者代を工面するのに、医者たちは午前の外来を終えたら午後はゴルフ三昧なのだ」と言う者までいた。ゴルフする医者は、たとえ病院の中では患者の味方であっても、病院の外では庶民の敵なのだ。役場から派遣された事務長は、余分な回り道をせずに、早く役場の出世コースへ戻りたいものだから、「病院の巨額の累積赤字は院長が働かないせいなので自分がハッパをかけているのだ」と言って町長の点数を稼いでいる。全く裏切られた気持ちだ。
 巷では最近になってやっと「働き方改革」が声高に言われ始めたが、最も過酷な勤務をしている医師については問題外なのだ。医師は一般人と違い、24時間365日病人のために拘束され、過労で倒れて一人前なのだ。医師会の先哲慰霊祭で「古今医家先人之霊」の名簿に名前が刻まれ、名誉の戦死者として奉(まつ)られて一人前なのだ。そうした自己犠牲の上に日本の医療が築かれて来たことを自負し、その資質を美徳として従えと上司からも町民からも無言の圧力が掛かるのだ。
 町立病院長K先生の場合は、医師3人で全ての日常勤務と日直・当直を勤めなければならず、同僚医師が学会準備のために大学通いを始めれば、勤務状況は更に過酷なものになるのだった。
               ☆

 ある夕刻、K院長が院長室へ戻ると、「第××回△△学会の演題募集要項」が届いていた。今回の会場は長崎市の「長崎ブリックホール」であり、その演題締め切り日が迫っていた。ピラミッド型の医局におられるオーベン(上司)先生から、「大学病院の外にいても学会発表を欠かすことなく続けなさい」と、常々言われているのだ。ネーベン(部下)たるK院長は、絶対その意向に従わねばならないが、医師3人体制で行ける訳がなかった。
 演題募集の案内には旅行社の観光案内冊子が添付されていた。それには「ユネスコ遺産!長崎、五島列島の教会群を巡り、キリスト教文化に触れる旅」と題して、大浦天主堂を始め、五島列島の潜伏キリシタンの里まで、観光名所の写真が満載だ。その中には、日本二六聖人記念館の写真もあって、その墓碑には26人の殉教者の名前が奉(まつ)られていて、医師も含まれていると書いてある。更にご丁寧なことに、この地に因んだ小説として、遠藤周作「沈黙」を取り上げて、その荒筋まで添えられている。しばし医療の現場から逃れたい気持ちのK院長は、その冊子を携えて当直室へ行き、乱雑なベッドに腰を下ろして、この「沈黙」の荒筋を読み始めた。それはおよそ次のようだった。

・・・西暦1597年、日本各地でキリスト教徒への迫害弾圧が吹き荒れる中、日本で初めてキリスト教信仰の理由で26人の信者が公開磔刑された。それでもローマ教会から日本に派遣されたフェレイラ教父は、信者のために密かに隠れ住んで布教に勤めていた。
 ところが、教会の信頼篤いこのフェレイラ教父が「逆さ穴吊り」の拷問に屈して棄教したらしいと、ローマ教会に連絡が入ったのだ。一体フェレイラ教父に何があったのだろう?
 そこで教父の教え子であるロドリーゴ司祭は事の真相を確かめるために、ローマから危険な渡航を試みて日本へ潜入し、五島列島の孤島へ渡って布教活動に就いたのだ。彼はその地で、日本人の棄教者であるキチジロウの裏切りによって役人に捕縛され、長崎の牢獄に送られる。多数の信者が「逆さ穴吊り」拷問されているその牢獄で、ロドリーゴは、棄教して沢野忠庵と名を改めたフェレイラ教父に再会した。
 ロドリーゴが、「なぜ棄教したのですか?」と問い正すと、フェレイラ教父は答えた。
「多数のキリスト教徒が拷問され、ある者は満ち潮の中に水刑されて死に、ある者は獄門の中で「逆さ穴吊り」の刑にされて死んでも、神は何一つなさらなかった。私は力の限りに祈ったが、神は沈黙していた。だから私は彼らの命乞いのために棄教したのだ。次は貴方の番だ。貴方が棄教すれば、あの信者らの命は放免されることになっている。棄教の証として、さあ!その踏み絵を踏みなさい」
 ロドリーゴは返す。「彼らは地上の一刻の苦しみと引き替えに、天上の永遠の悦びを得るのです」。
 返すフェレイラはそっと呟く、「貴方は、彼らのために、ローマ教会を裏切るのが、怖ろしいのだ。もし、ここにキリストがいたら、彼は自分の全てを犠牲にして、彼らのために棄教するだろう。さあ、ロドリーゴ。貴方が今まで最も聖なるものとして仕えてきたキリストを踏むのだ。貴方にとって最も辛い愛の行為をするのだ!」
 ロドリーゴは、踏み絵を前にして震え、大声で泣いていた。その時、踏み絵に横たわる銅版のキリストは確かにこう言った。
「私を踏みなさい。あなたが踏んだその足の痛さをこの私が一番よく知っている。私は、あなた方に踏まれるためにこの世に生まれ、あなた方の痛さを分かつために十字架に登ったのだ・・・・」
                    

 そう長くもない荒筋を読み終える頃、K院長は居眠りに落ちて夢を見始めていた。その夢は、「沈黙」の小説世界と「大学医局の戯画」とをコラージュ(切り貼り)させて作った絵物語のようだった。
 その夢の中の舞台は「沈黙」と同じで、キリスト教への迫害弾圧が吹き荒れる時代の五島列島の孤島にいるという設定になっていた。K院長は、ヒポクラテスの誓いを遵守する故に聖なる医術を与えられていた。つまり、あたかもキリスト教徒が洗礼を受けて使命に就くように、彼の場合ヒポクラテスの洗礼を受けて、医師としての使命に就いたのだった。彼は、前院長のA先生が失踪した事態を調査すること、そしてその後任としてこの地で医療活動することを使命として、この孤島の病院へ赴任して来た、という設定になっていた。
 K院長は、「沈黙」の荒筋のように、病院事務長の裏切りで捕縛され長崎の牢獄へ送られた。そこでは同僚の薬師(くすし)たちが残酷な「逆さ穴吊り」の拷問に苦しんでいた。
「長崎まで参って西洋医学を学び得たは誰がお陰ぞ!文句を言わず、せっせと死ぬまで働け!ポンぺ様の仰る通り、お前らの命は病人のものなのだからな!」と、御奉行たちが声を荒げている。牢獄の壁には「古今医家先人之霊」の名簿が貼られていて、次の空欄にK院長の名前が下書きされている。
 K院長はこの牢獄で、行方知れずだった前院長のA先生に再会した。K院長が、
「なぜ勝手に失踪し、開業したのですか?」と問い正すと、A先輩は答えた。
「もし、私が妥協して、そこそこの安逸な医師人生を送れば一粒の麦に過ぎない。もし、私が地に落ちて地域医療に際限なく働いて過労死(殉死)すれば、尊敬され後継者を集め、多くの実を結ぶだろう。そうして次の院長も同僚も同じ運命を強要されるだろう。しかし、現実に国や県や町民らの無理解の下に、多くの医師たちが過労死せんばかりに働いているのを、私は見て来た。見かねた私が、医師定員増を願っても、勤務体制の改善を願っても、国も県も町も医局も、私らの過労死状態に、沈黙していた。私が棄教すれば、同僚の医師たちが拷問から放免されることになっていた。だから私は踏み絵を踏んだのだ。累積赤字は院長のせいだと言うのだから、ひとり責任を取り、医局の掟から逃れて開業へ走ったのだ。次は君の番だ。君が棄教すれば、同僚の医師たちが放免されることになっている。棄教の証として、さあ、踏み絵を踏みなさい!」
 K院長は返す。
「医師は地上の一刻の勤務の苦しみと引き替えに、天上の永遠の名誉を得るのです」
返すA先輩はそっと呟く。
「君は、彼らのために、町長や医局や世間の期待を裏切るのが、怖ろしいのだ。もし、ここにキリストがいたら、彼は自分の全てを犠牲にして、彼らのために棄教するだろう。さあ、K院長、君が今まで最も聖なるものとして仕えて来たキリストを踏むのだ。君にとって最も辛い愛の行為をするのだ!」
 K院長は、踏み絵を前にして震え、大声で泣いていた。その時だ、踏み絵に横たわる銅版のキリストが確かにこう言ったのだ。
「私を踏みなさい。あなたが踏んだその足の痛さをこの私が一番よく知っている。私は、医師であるあなた方に踏まれるためにこの世に生まれ、あなた方の痛さを分かつために十字架に登ったのだ。過労で倒れる前に、心労のうつ病で自死に追いやられる前に、聖なる医術(医療)の名のもと、町民や医局のためにと殉死を迫られる前に、私を踏んで転びなさい・・・。そうして開業して自由になりなさい。だが、開業すれば今度は孤立無援の借金返済に追われるかも知れんが?・・・。過労死を防ぐには医師数を増やせば良かろうに?・・・労働基準監督署が現況を代弁してくれる訳もないし・・・」と、ブツブツ言っている。
 K院長は、これは本当にキリストの言葉なのかと耳を疑ったが、その言い分は有り難かったのだ。K院長はついに踏み絵に足を掛けた!足の裏の踏み絵は、紙一枚の薄っぺらなもので、インクの臭いがする・・・?
                    

 居眠りの夢から醒めたK院長は、気付くと、ベッドの下に落ちたスーパーのチラシを踏んでいた。そのチラシには健康サプリメントの使用前と使用後の比較写真が載っていて、使用後の写真が痩せた半裸のキリスト像のようにも見えるのだ。K院長は、足を振ってチラシを払い落としながら、考えた。院長職で過労となった自分は、銅版のキリストの口を借りて自分を正当化し、自分を慰めるカタルシスの夢を見たのだ。疲れ果てていたK院長のことを夢の中のキリストが理解してくれたのだ。そういう思いが、自分を楽にしていた。
 それはカタルシスの夢ではあったが、それでもK院長の心境は一歩前進していた。医学書ばかり読んできたK先生は聖書に縁が無かったが、聖書の何処かにこんな垂訓が載っているかも知れないと思った。
「我、汝らに死して聖者と成るを求めず。汝らの命は汝らのものなればなり。我を踏み、その痛みを忘れずして、汝らの願う道を行け」
 神もキリストも、人間は弱い者だと知っている。教授も医局も、医局員は弱い者だと知っている。「私を踏みなさい」と言っているのだ。過労死する前に、程々の所で医局から離れなさいと、親心で言っているのだ。K院長にとって、開業して自分の希望に挑戦する時が来たのかも知れなかった。
 海外では、医師も十分な自由時間を持ち、生活を楽しみ、家族サービスもできているのに、日本ではそれがない。日本の医療が累々と横たわる医師の屍(しかばね)の上に成り立つ異常事態であることを、K院長は知らずにこの道程をやって来たのだ。そうした医師への代償は、高給か、「患者の笑顔」か、あるいは「古今医家先人之霊」に奉られる名誉で自尊心を満たすことだ。
 そうした異常事態の中で、殉死せずにいる自分が、そこそこに働いて過労死せずにいる自分が、恥ずかしいとも後ろめたいとも思って来たのだ。K院長は、そろそろ自分の働き盛りが過ぎる頃になって初めて、そんな不自然な自分の姿が見えて来たのだ。自分の人生が何故これほど息苦しいのか、頑張っても楽しくないのか。その理由が分かった気がしたのだ。
 かつて世界のあちこちで無数のキリスト教徒が迫害弾圧を受け殉教死した。その歴史は今は過去のものとなった。かつて日本で人知れず医師が過労死(殉死)していたことも、歴史の一コマとして忘れ去られるのだろうか?医師が増えて、殉死せずとも十分に尊敬されて、診療していける時代が早く来て欲しいものだと、K院長は願わずに居られなかった。
 ああ、また、救急外来から呼び出し電話が鳴っている!K院長は朦朧とした心身に再び鞭を当てるのだった・・・(この物語はフィクションです)


      青森県医師会報 平成30年 9月 664号 掲載


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